07 木下恵介監督ロケ隊には全館貸し切り 藤屋総出24時間フル回転 私が小中学生だった昭和20〜30年代初頭、藤屋には多くの著名人が宿泊されました。中でも印象深いのは、木下恵介監督(1912〜98年)と木下映画のロケ隊の方々です。 木下監督は、景観が大好きだったという信州を舞台に十数本の映画...
06 著名人の思い出スターの宿泊が知れると 玄関前には大勢のファン 私が小中学生だった昭和20〜30年代初頭は、テレビはなく、映画館は特に楽しい娯楽の場でした。私は小学生の頃から大の映画好きで、今の西鶴賀町の長野中央病院近くにあった「商工会館」に行っては、当時ブロマイドを集めるほど大ファンだっ...
05 実母ツキ死去4人の子どもを残して 2番目の母はいち子さん 私の産みの母ツキは私が幼稚園年長の頃から結核を患い、藤屋の表に面した一室で療養していました。女性一人が付きっきりで看(み)てくださっていました。私が入り口のドアで「お母さん」と呼ぶと、「入って来てはだめよ」とまずそう言われるので...
04 日本舞踊を習う「祇園祭」では屋台で踊る 各種行事で花束渡す役も 私が3歳になる少し前、1945(昭和20)年の終戦前の数カ月、家族の中で私だけが飯山の戸狩に疎開しました。藤屋には戸狩出身の従業員がたくさんいたので、つてがあったのかもしれません。ほとんど記憶にないのですが、夏の初めに千曲川...
03 物心ついた頃番頭さんら従業員20人 皆元気が良くて働き者 最も藤屋が栄えた大正時代から太平洋戦争開戦くらいまでは家族の者は仕事に携わらず、夏は蓼科の別荘へ、冬は雪山のスキーや温泉へと余裕のある暮らしをしていたそうです。 私が物心ついてきた終戦直後の藤屋はまだ雇人も多く、支配人を中心に5...
02 父は32歳で他界叔父が藤屋継ぎ母と結婚 2歳前の私が戸籍筆頭者 1942(昭和17)年、戦争の真っただ中の8月の暑い日、私は藤屋の居宅で生まれました。父は藤屋14代目の藤井文三=当時30歳、母はツキ=同24歳。両親にとっては初めての子どもでした。私は、低出生体重児、いわゆる未熟児でした。お...
01 14代当主の長女善光寺宿の本陣を務めた 藤屋と80年間歩みを共に 善光寺門前町として発展した大門町界隈は、江戸時代には北国街道の善光寺宿として栄えていました。 1648(慶安元)年創業の藤屋は、加賀前田藩など参勤交代の大名らを迎える「本陣」を務めてきました。 明治以降も皇族をはじめ、伊藤博...