美大卒業後フリーの道へ 軌道に乗るまで3年ほど
私は、美大を卒業して25歳の時にフリーのイラストレーターを名乗るようになってから74歳の今日まで、ずっとイラストレーターの仕事を続けてきました。
企業広告のイラストを手がける一方で、絵本などを出版してきました。2002年から10年まで、信濃毎日新聞夕刊に連載した「風に吹かれて」では、私の文章とともにイラストも大きく掲載されたのでご記憶の読者もおられるでしょう。
私が絵本を作るとき、まず風景写真を撮影する取材に出かけます。そして、その風景に合わせて話を考え、最後に絵を描きます。現在制作中の「森のくまさん」シリーズ5作目は、1年半ほどかけて取材し、話を創作しているところで、年末にかけて絵を描く予定です。
話の原点は、ほとんどが生まれ育った木曽で友人と一緒に遊んだ子どもの頃の思い出です。それを元に想像を膨らませて作品が面白くなるようにと考えます。
私は上松町で生まれました。父は営林署の職員だったので転勤が多く、小学校は3回転校し、四つの小学校に通いました。卒業時に通っていた城山小学校に在籍していたのはわずか半年ほど。そのため、校歌を最後まで歌える学校はありません。
子どもの頃から絵を描くのが好きで、小学生の夏休みに絵日記を書くのがとても好きな子でした。中学時代は、私の描いた運動会や文化祭のポスターが選ばれて学校内に飾られました。
吉田高校を卒業後、多摩美術大学グラフィックデザイン科に入学しました。周囲の仲間たちは卒業後、デザイン会社や広告代理店へ就職していきました。しかし、私は大学時代に亡くした友人のことを考えて「人生、いつ何があるか分からない。ちょっと無理してでもフリーランスのイラストレーターで頑張ってみよう」と、思い切ってフリーの道を選んだのでした。
しかし、フリーで生きていくのは大変で、思うように仕事は見つかりません。顔と名前が一致しないような人も含め大学時代の友人知人を訪ねて営業活動をしては仕事をもらっていたものです。当時、仕事をくれた友人にはとても感謝しています。
フリーになった同じ年に結婚した妻が働いてくれたおかげで、どうにか生活はできたものの、私の仕事が軌道に乗るまで3年ほどかかりました。
イラストレーター人生の中で大きなターニングポイントとなったのが、カヌーイストで作家の野田知佑さんとの仕事です。
私が40歳の頃、カヌーで旅をする野田さんをモチーフにした絵を描こうと思い付き、何年もかけて個展を企画し、デザイナーや編集者に作品を見せて回ったところ、「藤岡さんの絵に野田さんの文章を付けてくれれば絵本にして出版できますよ」と提案がありました。
そこで、野田さんの事務所に連絡したら「野田は今、アラスカのユーコン川に行っています」。お会いできたのは、それから3カ月後でしたが、野田さんの承諾を得られ、野田さんとの共著「笹舟のカヌー」を出版。思い付いてから出版まで10年かかりました。その後、共著を何冊も出すことができ、私の仕事に深みと広がりが増していったのです。
一イラストレーターの人生回顧にしばらくお付き合いください。
聞き書き・広石健悟
2024年7月13日号掲載