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06 著名人の思い出

スターの宿泊が知れると 玄関前には大勢のファン

信大付属中3年時の大運動会。シンデレラの仮装行列で王子に扮(ふん)した私(左から2人目)。建物は付属中校舎。この年、付属小の運動場敷地内に同中の新校舎が落成した

 私が小中学生だった昭和20〜30年代初頭は、テレビはなく、映画館は特に楽しい娯楽の場でした。私は小学生の頃から大の映画好きで、今の西鶴賀町の長野中央病院近くにあった「商工会館」に行っては、当時ブロマイドを集めるほど大ファンだった美空ひばりさんの映画をよく見ていました。「商工会館」という名称でしたが、そこは2階が畳敷き、1階が椅子席の建物で、音楽の公演なども行われる文化会館のような場所でした。2階の畳敷きで映画が上映された時は、子どもだった私は、お行儀は悪いのですが、そこによく寝そべって見ていました。

 私の憧れの人であったひばりさんも藤屋に何度かお泊まりいただいています。最初は、善光寺・蓮華院の生まれで映画監督の瑞穂春海(みずほしゅんかい)監督(1911〜95年)のロケの時だったようです。近所の私より少し年上の方が、当時の付属小学校の校庭にセットを作って撮影していたことを教えてくれました。そういえばこの時、タレント堺正章さんの父親で喜劇俳優の堺駿二さんも見えていて、藤屋の廊下でよくすれ違った記憶があります。

 1957(昭和32)年1月、私が中学2年生の時、19歳のひばりさんが浅草の劇場で公演中、ファンから塩酸を掛けられてやけどをする大事件がありました。このすぐ後に長野公演があり、藤屋の一番奥の特別室にお母さまと一緒にお泊まりになりました。庭に面した静かな部屋で、以前はとても気に入ってくださっていましたが、この時は怖がって部屋の周りに屏風を立て巡らせて外が見えないようにしていました。

 その頃は、田端義夫さん、灰田勝彦さん、雪村いづみさんなど有名な歌手もお泊まりになりました。トップスターが泊まっていることが知れると藤屋の玄関前は大勢のファンで大騒ぎ。雪村さんがいらした時には、木をよじ登って2階の居間に侵入する人までいました。

 巨人軍は長野市で試合がある際は必ず藤屋に泊まっていました。小学校低学年の時、捕手の藤原鉄之助さんが一緒に遊んでくれたことを覚えています。旅館の中を生意気にちょろちょろしていたからでしょう。また、お相撲さんの団体も地方巡業の時、各旅館に相撲部屋ごと泊まっていました。ある時、お風呂で1人の大きなお相撲さんを、お弟子さんなのか3人くらいで洗っているところを見かけてとても驚いたこともありました。

 23歳の若さでNHK交響楽団のコンサートマスターに抜てきされたバイオリニストの海野義雄さんの公演会場は、城山小学校の体育館でした。私は高校生だったでしょうか。「一緒についていらっしゃい」と、会場まで連れて行ってくださり、舞台袖で演奏を聴かせてくれました。その音色は美しく、ますます音楽が好きになるきっかけをいただいたように思います。

 私が信大付属長野中学校2年生の時、開校10周年の記念式があり、ここで初めて制定された校章と校歌がお披露目されました。校歌の作詞は、文化勲章を受章された詩人で小説家の佐藤春夫さんです。佐藤先生はこのとき藤屋に宿泊されていました。特に言葉を交わしたわけではありません。お見かけしただけですが「ちょっと太った感じのおじさん」という印象が残っています。

 孫たちが私のところに遊びに来た時にたまたま母校の校歌を歌う機会がありました。母校の後輩でもある孫たちからは「何でおばあちゃんが付属の校歌を知っているの」と驚かれました。「まだ覚えているのよ」と当時のことを少し聞かせてあげたこともあります。

 聞き書き・中村英美


2022年12月17日号掲載

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