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08 結婚

斑尾に来てくれませんか 出会ってから半年で挙式

結婚披露宴でキャンドル点火をするまゆみさん(右)と私

 25歳の時、私が斑尾高原で久世ペンションを始めて2日目にお客さまとして来てくれたまゆみさんが、半月後に友達と2人で再び来てくれました。その時、ほかのお客さんの赤ちゃんをあやす姿を見て、温かくて優しそうな人だと思いました。

 帰るまゆみさんたちを飯山駅に送った際に、当時駅前にあったスーパーの2階の食堂に入りました。友達も一緒にいましたが、今言わないともうチャンスがないと思って「斑尾に来てくれませんか?」と話しました。突然のことで戸惑ったようで、その時はまゆみさんからの明確な返事はありませんでした。

 その後、毎日のように電話しコミュニケーションをとる中で、結婚したいという私の思いを強く伝え、まゆみさんは受け入れてくれました。私のように気持ちをまっすぐに伝えてくるタイプは、それまで周りにいなかったようでした。その後すぐに横浜のご両親のところへ結婚前提のお付き合いをさせていただくようにあいさつに行きました。ちょうどそのとき、雑誌「ポパイ」のカメラマンとスタイリストが、取材のためにペンションに滞在していました。スタイリストの女性が、カウチンセーター、ジーパンとワークブーツという当時先端をいくファッションを用意してくれて、私を送り出してくれました。

 ありがたいことに、ご両親は私のペンションの仕事に偏見を持たずに受け止めてくれました。お父さんもスキーが大好きで、スキー場の美しさを知っていて私の生き方を理解してくれました。

 まゆみさんの家族は聴覚障害のお兄さんを中心とした温かい家族でした。まゆみさんが育った背景を理解することができました。

 ごあいさつの次の日に、デートをしようと計画を立てました。東京で初デートしました。久世で働いていた頃に私のお得意さまだった赤坂の高級中華レストランに予約をして行きました。しかしながら私のリサーチ不足で、食事をしていたら水着のような衣装を着た若い女性たちが10人くらい舞台に出て踊りだしたので、まゆみさんは「良三さんは何というところに連れてくるのだろう」と内心思ったようです。しかも客は私たち2人だけで、すごく恥ずかしくなってすぐに出ました。

 まゆみさんはその後ペンションには2回ほど手伝いに来てくれました。同じく手伝いに来てくれていた母や妹、兄のフィアンセとも仲良くなり、結婚前から家族のような感覚でした。

 出会ってから約半年で、東京で結婚式を挙げました。私が26歳、まゆみさんは24歳の時でした。結婚式の準備は全てまゆみさんに任せきりで、私はといえば、結婚式の前日までペンションの前庭に一人で芝生を張っていました。それくらいペンションを成功させたい気持ちが強かったのですが、まゆみさんは大変だったと思います。

 まゆみさんは料理が上手で、私はサービスでお客さまにスキーを教えていたので、ペンションは大繁盛しました。ポールを旗門に滑る練習をしてもらうために、スキー場と交渉してゲレンデにポールが立てられる場所を確保し、30本くらい竹のポールを立てました。ポールを教わるとスキーが上達するし、お客さまも楽しかったと思います。

 12月から翌年3月までのシーズン中は休みがなく、昼間はお客さまの送迎やスキーのレッスン、夜は毎晩パーティーでお客さまをもてなしました。早く借金を返すためにもペンションを軌道に乗せなければ―と一生懸命でした。

聞き書き・松井明子

2021年4月3日号掲載

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