放任主義の考えに違和感 「動物的な直観力」の研究者
京都大学で初めて厳しい論文指導を受け、私は日本語の書き方をはじめ、論文の書き方を一から学ぶことになりました。論文で大切なのは、発見した事実や解明したこと自体ではなく、それが学問や社会にどのような意味を持っているのか(New to Science)、だということを理解しました。
それまで私は、面白いから、不思議に思えるから、研究をしてきました。それを研究する意味、まして学問にどんな貢献をするかは、まったく考えていませんでした。信州大学でカワラヒワの研究を始めた頃、その研究をしてどうするのかと聞かれたら、私は答えることができなかったでしょう。
研究に対する考え方と同様に、「教育」に対する考えも、信大と京大では大きく異なっていました。信大では学生全員の学力や研究レベルをある基準まで高めることが基本的な教育方針でした。それに対し、京大の生態学研究室では、「放任」された中で、自ら研究テーマを見つけ、研究の結果をまとめ、厳しい論文指導についてきた1人か2人を世界に通用する研究者に育て上げればいいというものでした。
結婚してから、私がアルバイトをすべて辞めたのは、それをしていたら博士課程の3年間に学位を取得することは無理だと悟ったからでした。
京大の生態学研究室には、私の前年に5人、私と同期では5人が入学しました。その中で、入学後すぐに研究に着手できる院生はほとんどいませんでした。多くは「研究テーマは自分で決める」という研究室の「放任主義」に戸惑っていました。そこに大学紛争で授業を十分に受けられなかったことが重なり、研究への好奇心やテーマを決める能力を十分に高められなかったのだと思います。 それに対して、「カワラヒワの研究」というテーマで研究をすでに行い、その研究のために大学院に入学した私は、スタート時点でほかの院生より一歩も二歩も先にいたのです。
ただ、生態学研究室の放任主義には、次第に違和感を持つようにもなりました。同期の院生の中には、異色の私を受け入れてくれ、受験勉強中に私が分からないことを親切に教えてくれた人もいました。そんな院生が大学院に進学して何を研究したらいいのか悩む姿を見て、私は同情せざるを得ませんでした。
森下教授は、そんな彼らを見かねて、どんな動物を研究対象にしても、その動物にしかない面白い研究テーマがあるから、まず野外に出て観察を始めるよう勧めてくれました。それでも研究に手が付けられず、悩んだ末に、研究室を去っていく院生が何人もいました。
研究室の放任主義は、初代の宮地教授の頃からあったものだと思います。生態学は、生物学の中では基礎科学です。研究の成果がすぐに社会に役立つものではなく、それを研究職として続けるのは狭き門です。放任主義は院生を振り分ける役割を果たしてきたことは確かです。悩んでいる院生に、「こんなテーマを研究してはどうか」という指導はありませんでした。それがあったら、優秀な人材が次々に辞めていくことはなかったと思います。
通常、研究では「仮説」を立てて、その仮説を「証明」「検証」するために実験や調査を行いますが、私は、直観的に面白い、不思議と思ったことを純粋にありのまま研究し、明らかにしたことがどんな意義があるかは、後で理屈をつけていきました。この研究スタイルは、その後も私の研究スタイルとなっていきます。最初から結果や意義の分かった結論ありきの研究よりも、新たな発見や概念を確立する近道だったのです。指導教官の一人、滝先生は、後に私のことを動物的な直観力で面白いテーマを次々に見つける能力を持った研究者と評してくれました。
その直観力は、子どもの頃に自然の中で遊んだ原体験にあることに、私自身が気づくのは、ずっと後になってからでした。
聞き書き・斉藤茂明
2024年3月2日号掲載