憧れの野田さんを描き 個展開く夢実現に向けて
1990年代初頭のバブル景気の崩壊は私にとっても人ごとではなく、仕事量は半分以下に落ち込んでしまいました。
当時、私は40歳を過ぎていました。イラストレーターの収入はどうにか生活できる程度。将来は暗く、展望を見いだすことはできません。45歳になった時、筆を折ること、つまりイラストレーターを辞めることも考えました。しかし、まだ個展を開いたこともないことに未練が残りました。辞めるにしても個展を開いた後にしよう。私はそう考えました。
そこで思い立ったのは、国内外を舞台にカヌーの旅をし、自由に生きている憧れの野田知佑さんをモチーフにした絵の個展を開くことでした。
私は自らカヌーを始めることにしました。野田さんの言葉、考えを理解するにはカヌーを知らなければいけないと思ったのです。絵の素材となる風景を写真に納める狙いもありました。
まず私は初心者向けの練習会に参加しました。参加者は私のほかに女性5人。1日だけでしたが終わる頃にはすっかりお互い仲良くなり、情報交換のために連絡先を交換しました。すると、後日そのうちの一人が「東京ファルトボートクラブに入ったので、藤岡さんも入りませんか」と誘ってくれました。野田さんも所属していたことのあるクラブで、不思議な縁を感じて入りました。ファルトボートとは、組み立て式カヌーのことです。
カヌーは、外装(布地)とパイプなどの骨組みで構成され、全長4メートル前後、重さは十数キロ。キャンプ道具や食料、水を合わせると計40キロほどになります。当時は全く運動していなかった私は荷物を担ぐ練習から始めました。初めは大変でしたが「野田さんの言葉を理解するため、そして野田さんの絵を描くため」と頑張りました。
東京ファルトボートクラブのメンバーは当時30人ほど。年間スケジュールが組まれ、月1回ほどカヌーで旅に出ました。それとは別にリーダーが声を掛けて少人数で行く旅もありました。
私をクラブに誘ってくれた女性と、同じ長野県出身の60歳の男性と私、そしてリーダーの4人で、時々カヌーの旅に出かけました。その女性は当時20歳。年齢の離れた、面白い組み合わせでした。
実際にカヌーをやってみて、野田さんが紀行文に書いていたカヌーやキャンプの面白さ、自然の厳しさなどが肌で感じられました。朝焼けや夕焼け、四季折々の変化など絵の素材にできそうな写真もたくさん撮りました。
私は、カヌーの旅を通して撮影した写真を参考にして風景を描き、そこに野田さんがモデルのカヌーイストを登場させます。設定は、野田さんと飼い犬のガクと共にギターや酒瓶を積んで、カヌーではなく、笹舟に乗っていろいろな場所を旅するというものです。F10サイズ(530ミリ×455ミリ)のイラストを30点完成させました。
個展を開きたいという目的で始めた試みでしたが、それだけにとどまらず、野田知佑さん本人との共著で絵本を出版するという話にまで発展していくとは、当時はまったく思ってもいませんでした。
聞き書き・広石健悟
2024年9月21日号掲載
写真=青森県の弘前から十三湖まで岩木川をカヌーで下る私