塩の道・石の道・絹の道…
民謡「絵島節」
絵島ゆえにこそ
門に立ち暮らす
見せてたもれよ
面影を
恋の罪人
絵島が墓の
里に来て鳴く
秋の虫
江戸時代半ば、幕府を揺さぶった大奥の大スキャンダル、絵島生島事件にちなむ盆踊り唄だ。大年寄として権勢を誇った絵島が信州高遠へ〈恋の罪人〉となって流された悲劇が、今も飯田市上村で盆踊りの輪をつくる。
高遠は秋葉街道沿いの城下町。30年近く絵島が幽閉されて没した囲み屋敷が復元され、哀れを誘う。江戸ではやった唄が、秋葉街道沿いに高遠領の南端、分杭峠を通り越し、さらに南へ下って上町宿に定着したらしい。
例えば絵島物語のごとく、秋葉街道には幾つもの顔がある。まずは山深い信州と太平洋に開けた遠州を結ぶ道だ。海辺の塩が山奥へ運ばれる塩の道。起点となる一つが、静岡県牧之原市相良である。
海に近い道路脇に「塩の道起点」の碑が立つ。ここから北西へ、信州街道とも呼ばれる往時の古道を歩いてみた。駿河湾の潮風を背に坂道を上る。突然、目の前が開けた。茶どころ牧之原台地だ。
見渡すかぎり茶畑が広がる。秋葉街道はお茶好き信州人への茶の道でもあった。縦横に走る農道に迷い込まないよう地図と塩の道の道標を頼りに進む。菊川市に入って塩の道公園に立ち寄った。何と、信州産黒曜石が飾ってあるではないか。
日本海側の塩の道起点、糸魚川市を含め沿線の市町村が力を合わせて築いた公園だ。アルプスに擬した小高い丘に、和田峠の黒曜石産地から運んで据え付けた。程近い御前崎の茶畑から黒曜石を加工した縄文時代の矢尻が発掘され、信州との石の道をアピールする狙いを込めている。
日本列島の中央、最も幅広く南北に膨らんだ太平洋側と日本海側を、全長約350キロの古道が縦断する。そのうち火伏せの神様をまつる秋葉山を挟んで長野県の南部、静岡県の西部の間を信仰の道秋葉街道と呼ぶ。これが、絹の道でもあった。
とりわけ信州と遠州との境、標高1082メートルの青崩峠は、最もきつい難所。山肌が絶えず崩れ続けるもろさだ。いまだ車道を開通させられないほどで、国道152号と称しているのに歩くほかない。
そこを遠州側の麓、水窪周辺の農家の育てた繭が、製糸の盛んな信州へ生糸の原料用に運ばれていった。あるいは近在の若い娘たちが、製糸場の女工となり「遠州信州ひとまたぎ」と声を上げつつ峠を越していく。
こうして実は、さまざまな絵模様の重なり合うのがシルクロードだ。それは人々の生き抜く姿の多様さそのものでもあった。
2021年11月13日号掲載