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12 「笹舟のカヌー」出版へ

単著の絵本出版は難しく 野田さんとの共著となる

妻の美鈴(右)と行った高尾山で

 1990年代半ば、カヌーイストで作家の野田知佑さんをモデルにした絵の評判を聞くために、絵を持って回っている中で、出版社の「セーラー出版(現・らんか社)」を紹介されました。早速訪ねると担当者が一晩預かることとなり、翌日「藤岡さん、この絵は大変素晴らしいです。絵に描かれていない外側の世界を想像する余白を感じました」と言われました。

私は高評価をもらえたと大変うれしくなりました。これまで広告向けイラストの仕事をして厳しい指摘を受けることはあっても褒められたことはほとんどなかったので、本の出版に向けて望みが湧いてきました。ただ、セーラー出版は幼児向け絵本の出版社で、「残念ですが、うちでは出版できません」と断られました。


 その後、絵本作家の黒井健さんに小学館の編集者を紹介してもらいました。小学館に編集者を訪ねると、同じく絵を高く評価してくれました。しかし、編集者は「絵本の出版は難しい」と言いました。私は、トヨタ自動車が私の絵をカレンダーに採用し、そこに野田さんのエッセーを載せる企画が進行中であると話しました。トヨタ自動車が野田さんの事務所から、私の絵に野田さんの文章を付けてカレンダーにする同意を得ていたのです。すると編集者は「野田さんの文章が付くなら出版します」と言ってくれました。

 私はすぐ野田さんの事務所に電話しましたが、野田さんはちょうどユーコン川を旅しているところで野田さんの承諾は得られませんでした。


 3カ月後、旅から帰ってきた野田さんにじかにお会いできることとなりました。当日、野田さんが定宿にしている新宿のホテルのロビーで待ち合わせ、私は緊張しながら「藤岡です」と自己紹介したことを覚えています。


 そこには小学館の編集者も同席することになっていたのですが、編集者は待ち合わせの時刻を過ぎても来ません。焦った私は出版社に電話しました。携帯電話などない時代、ホテルの喫茶室の固定電話を借り、館内放送もお願いしました。ホテルでこのような呼び出しの放送はあまり例がなかったかもしれません。しかし、この時は従業員の方も、切羽詰まった私のお願いにただ事ではないと思ったのでしょうか。それでも結局編集者と連絡が付くことはありませんでした。


 野田さんは口数が少ないながらも、優しい人柄で、編集者を待っている間「どんな文章を付けたらいいですか」といろいろ話しかけてくれました。約束の時間から45分過ぎてようやく来た編集者は悪びれた様子もなく、私はヒヤヒヤしましたが、どうにか無事に出版に向けて野田さんの了承が得られました。


 私は、「ようやく本になる。きっと売れるだろう」とうれしくなりました。野田さんは、よくテレビに出るような超有名人ではありませんが、アウトドアに興味のある人たちの間ではファンも多く、何冊も著書がありました。


 バブル景気がはじけた後、私の仕事は大きく減り、妻との共働きで、銀行の借金もありました。野田さんとの共著「笹舟のカヌー」出版が決まり、それまでの苦労がようやく報われた気持ちになりました。

 聞き書き・広石健悟


2024年10月5日号掲載

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