旧三水村に形の良い丘 インスピレーション湧く
私は昔からスケッチが好きで、フランスへの新婚旅行前からリンゴ畑やジャムの加工所を想像して描いていました。旅行から帰ってきてからは撮ってきた写真を参考に、自分なりに図面におこしていきました。
1984年当時はまだ、栽培から加工、販売まで手掛ける6次産業化という言葉はなく、行政は、工業、農業などで担当部署が分かれ、特に大きな役所ほど強い縦割りでした。「ジャム工場を造りたい」と、北信のいくつかの役所に電話をしてまず案内されたのは、ジャムを加工するということで工場団地を管轄する商工部。「そうではなく、私が見て来たフランスのように農地の中に加工所があって、そこで直売所やレストランもやりたい」と話しても、なかなか理解してもらえませんでした。唯一、「面白いですね」と言ってくださったのが三水村(現飯綱町)で、最初に電話でお話ししたのは永原総務課長でした。よく聞いて、篠原村長と大川助役にすぐに話をつないでくれました。
三水村には工場団地がなく、農業立村を打ち出していました。リンゴ畑などの農地が多く、美しい農村風景が保たれ、純粋な農業地帯の村。課長は私の話をよく理解してくれました。
2回目に役場を訪問した時には、村長、助役、総務課長など村の幹部がそろって対応してくれました。写真を見ていただきながら、ノルマンディーに行った時の話、北海道の修道院の話、ジャム工場を造りたい、リンゴを使った加工品を作りたい、将来は醸造所や蒸留所も造りたいという構想を語りました。
「候補地がいくつかあるのでご案内しましょう」という話になり、村長さんたちと一緒に村内を車で回りました。村のはずれの土地だったり、急斜面だったり、見せてもらった土地は、自分の中でピンと来ませんでした。わがままを言ってさらに村内を案内してもらうと、遠くに形の良い丘が見えてきました。
「あの丘を見てみたいのですが、上まで行けますか」とお願いしました。丘の上まで道路が開通してなかったので、途中で車を降りてみんなで歩きました。ほとんどが荒れ地で、少しリンゴ畑や野菜畑がありました。上まで行くと平らになって景色がとても良い。「ここなら命がけで勝負できるのではないか」と、インスピレーションが湧きました。
その直感は、男子修道院、女子修道院、ノルマンディー、ボルドー、ブルゴーニュと、本物を見てきた体験がベースにありました。「できればこういうところでやってみたいです」と話しました。
家に戻ってから、頂いた村の地図に道路、ジャム工場、レストラン、ショップなどを書き込んでいきました。将来的にはここで雇用を何人くらい生み出し、全国的にも知られたブランドの拠点としてここで勝負を懸けたいと構想をまとめ、3回目の会見の時に正式に企画書として出しました。
村の関係者とはしっかりとした信頼関係を築きました。ペンション時代からのメイン銀行、八十二銀行本店営業部の担当の大井次長は三水村議会で、銀行を代表して私の人物像や斑尾高原農場の実績などを話し、私を助けてくださいました。そして85年、村制100周年記念事業の一つとして企業誘致が決まりました。同時に、長野県当局にも同様にこのビジョンに共感していただけました。
民間企業の力を借りて地域を盛り上げる自治省(現総務省)の「地域総合整備事業」に採択されたおかげで丘に道路ができました。官民一体の地方創生事業として後押しがあり、幸運なスタートが切れました。
聞き書き・松井明子
2021年5月15日号掲載