うねる花びらの曲線美 表現アピールしたい一心
東京で何度も個展を開催しましたが、展示したインスタレーション(設営芸術)作品は会期が終了すると解体して消えてしまうので、作品が収入につながるということは考えもしませんでした。しかし、週刊長野で絵とエッセーを担当し、自分の名前を出して描いた絵で表現できる仕事の体験をしました。それが自信につながり、長野市でも個展を開こうという気持ちが芽生えて、友人の越山富貴子さんに話したところ、「長野市で最初の個展はとても大切なアピールの場だから、小さな所でやるよりも、目立つ所で開催した方がいいよ」とアドバイスをくれました。
そしてさまざまな人のお力添えがあり1989年、ながの東急百貨店の「シェルシェ」最上階のスペースで個展を開催することになりました。この頃から、基本的にはバラやシャクヤク、グラジオラスなど、大きな花びらがうねって美しい曲線を作り出しているような花を選んで描いています。当時は、今のようにキャンバスにじっくり描き込むような描き方ではなく、ほぼ体が入るくらいの大きな画用紙にアクリル絵の具でデッサン、ドローイングするような感じで、1日から2日で1枚を仕上げるといったペースで描いていました。
そんな制作を繰り返していたある日、車を運転していたら、昨日も描いた花びらの輪郭線に、山の稜線がすごく似ていることに気が付きました。山の稜線ははるか昔から続く長い時間が作り上げたものですが、花はせいぜい1週間ほどで消えてしまうくらいはかないものです。その曲線同士が酷似していることを発見したことで、花を見つめる視点が造形性の面白さというシンプルな興味から、大自然や永遠に続く時間とシンクロするイメージへと飛躍し、その後の表現へ続いていきました。シェルシェの個展では、大きな紙に花だけをクローズアップして描いた作品を壁にたくさん並べて、画びょうで留めて展示したので、「これはポスターですか?」と話し掛けてくる人もいました。週刊長野の連載で私の名前を知って来られる人もいて、その影響を感じました。
長野市で初めて開いた個展は、展示会場や週刊長野の効果で多くの観客が訪れました。越山さんは会期中毎日受け付けを手伝ってくれ、額装した1点を彼女自身で高い値段を付けて買ってくれました。作品を見てもらうだけで満足している私を、作品が売れる作家になるように、意識を変えようとしてくれたのです。
とにかく長野でこういう表現をしている作家がいることをアピールしたい一心で個展を開いたので、越山さんが買ってくれるまで作品を売ることなど全く考えもしませんでした。当時の越山さんの私への働きかけはとても大きなものでした。その後初めての海外旅行である米国への旅も、英語が堪能で米国滞在経験のある越山さんと同行しましたし、私の新たな作家活動のスタートに、越山さんは大変ポジティブに私を導いてくれました。
長野市での初個展を経て、花の絵を一層積極的に制作発表し、長野市に転居してから知り合ったさまざまな人たちとの交流も増え、私の活動範囲は広がっていきました。私の忙しさが加速していくのと、母が会社を退職したタイミングが重なり、母が娘の面倒を見てくれるようになりました。打ち合わせで出掛けたり、東京の個展のため1週間間留守にしたりするときなど、娘がいるからとためらうようなことはなくなりました。米国旅行の時も母のおかげで心置きなくロサンゼルス、ニューヨーク、サンフランシスコ、ワシントンD.C.と多くの美術館を巡り、刺激を受けながら学ぶことができました。
聞き書き・松井明子
2023年9月2日号掲載