青山や銀座で企画展開催 全国へ活動範囲広がる
芸大卒業後に東京で何度も開催した個展は、使用料を支払い、1週間ギャラリーを借りるというかたちでした。現代アートの世界では、ごく限られた作家以外はそれが当たり前でした。とはいえ、私が個展を開催した画廊は、日本の現代アートの歴史をつくった作家が作品を発表した歴史ある画廊であり、使用料を払えば誰でも個展ができるわけではなく、作品の質がギャラリーのオーナーのお眼鏡にかなわなければいけません。美大生の頃から、「うちが企画し、会場も提供するので個展を開いてください」とギャラリーから言ってもらえる作家になるのが一つの目標でした。
初めて企画個展のお話をいただいたのは1993年。東京・青山の「スカイドア・アートプレイス青山」という、新しいギャラリーでした。ギャラリーのブレーンである学芸員や美術雑誌の編集者、作家などが集まった企画会議で私の名前が挙がり、ギャラリーから、「一度、作品の資料を持ってギャラリーに来てください」と打診があり、緊張しながら資料を持参しました。
訪れたそのギャラリーは青山のおしゃれなエリアにあるビルの地下で、天井が高く広いスペースでインテリアも洗練され、本当にこんなギャラリーで開いてもらえるのかと驚きましたが、そのプレゼン後に正式なオファーをいただき、ギャラリーオーナーやスタッフが何人も東京から私のアトリエに来て打ち合わせをしてくれました。
スカイドアは、ホームセンターを経営する美術愛好家の社長がつくり、ギャラリーの理想形を目指していました。若いスタッフが4、5人と、ブレーンが何人もいて、ギャラリー運営のほかに美術出版部門があり、書籍や美術雑誌を発行していました。個展時に作品集を作るのですが、そこにギャラリーでの作品展示風景を掲載するため、会期の1カ月ほど前に一度会場に作品を持ち込んで展示風景を撮影し、撮影が終わると撤収して、1カ月後に改めて展示して個展がスタートするという、経費と手間をかける上に、大作を何点も買い上げてくれ、作家にとっては至れり尽くせりの、夢のような1カ月間の個展でした。スカイドアでは、この後95年、2000年と個展を企画していただき、スタッフとの信頼関係も築くことができたので、各地での展示や運営もお任せしていたのですが、母体となるホームセンターが倒産し、残念ながらギャラリーは数年でなくなってしまいました。
スカイドアでの最初の企画展の翌年、東京・銀座のコバヤシ画廊での個展に展示した作品が、当時神奈川県立近代美術館の学芸員であった山梨俊夫さん(その後、同館の館長を経て、2021年まで国立国際美術館館長)の目に留まり、東京の「上野の森美術館」で開かれた第1回「㈸OCA展」に推薦していただきました。
VOCA展は選ばれた全国の学芸員や研究者などが40歳以下の平面作品作家を推薦し、作家は新作を出品し、その作品の中から審査員が賞を決定するという斬新なスタイルの企画展。特に第1回は当時現代アート界で活躍する若手の有名作家がずらりと並びました。その中に入り、やっとメジャーな作家たちと同じ土俵に上がれたという思いがしました。それ以後もVOCA展は毎年3月に開かれ、現在では現代アートの若手作家の登竜門として最もメジャーな企画展になっています。
スカイドアでの企画個展開催に続き、VOCA展に出品したことで、40代を目前に、作家としてステップアップすることができました。長野はもちろんのこと、京都、福岡、茨城といったところでも個展を開催する機会をいただき、作家としての活動範囲がぐっと広がっていきました。
聞き書き・松井明子
2023年9月16日号掲載