永さんの発案から始まる 予想上回る2千人の来場
藤屋のティールームでお茶を飲んでいらした永六輔さんが「藤屋博覧会をやってみない? お宝はあるし、イベントと合わせて旅館中を使ってやったら面白いよ」とおっしゃったのは1987年のこと。藤屋で毎年1回開いた永さんのトークショー「本陳小劇場」は約20年続いていました。
「え〜っ、大変」ととっさに思った私は、「はい」とすぐには首を縦に振れませんでした。お蔵からあれこれ出したり、お手伝いをお願いしたりしなければなりません。すると永さんは「やるの? やらないの? やらないならほかへ持っていくよ」。
永さんはかねがね、「旅館は外からの客をもてなす仕事だから地元とのご縁が薄くなる。それじゃあいけないよ。なるべく地域の人を呼んだ方がいい」と、本陳小劇場を通して、地域の人たちが気楽に藤屋に入れるような雰囲気をつくってきてくださいました。永さんの問い掛けに私は、「じゃあ、やります」と返事をして開催が決まりました。
「藤屋博覧会」は、オフィス・マユさんの協力で、同年4月に2日間開き、両日とも入場できる通行手形を1000円で販売しました。広間のステージでは永さんのトークやタレント内海桂子・好江さんの漫談、作家C・Wニコルさんと切り絵作家柳沢京子さんの対談をはじめ、クラシックやアルパの独奏といった音楽のミニコンサートなどを行いました。
明治期に建築された奥の建物の2階では、大名行列の押し絵の屏風や九谷焼の大皿、大名家の姫君が使っていた鏡台など藤屋に古くから伝わる美術品や調度品など10点ほどを展示公開。3階では、親子で楽しめる紙粘土やパッチワーク、創作和紙など手作り教室を開きました。また、お庭でも、娘や私のお茶の仲間がお手伝いしてくれて野だてをしました。
初日は、正午のオープン前には、旅館前に100人を超える人だかりができていました。そこに駆けつけてきた永さんは、すぐにマイクを取ってその場を仕切ってくださいました。藤屋をまるごと使っての初のイベントには、結局2日間で私たちの予想を大きく上回る2000人が来場してくださったのです。準備からイベント当日まで想像以上に大変でしたが、長野の大勢の人たちに藤屋を知っていただく良い機会となり、心から「やってよかった」と思いました。永さんの力があったからこそできたイベントでした。
藤屋博覧会の大成功を経て永さんは、「今度は藤屋だけでやるのではなく町を巻き込んで、町へ広げないといけない」とアドバイスしてくださいました。これを受けて、大門町の若手経営者らの企画で、11月には「大門曼荼羅」と銘打った2日間のイベントが開催されました。
会場は、「藤屋」と、向かいのそば屋「大丸」さん、旅館からレストランに転業した「五明館」さんの3カ所。そこに永さんはじめ、女優の松島トモ子さん、歌手のさとう宗幸さん、ファッションジャーナリストとして活躍中だったピーコさん、落語家の立川志の輔さんらゲストが、時間をずらしながら出演してくれました。
参加者が各会場を巡って盛りだくさんのプログラムを楽しめる内容で、この時は大勢の地元市民の笑顔が広がりました。「大門曼荼羅」はこの後、大門町から善光寺かいわいにかけて会場を変え、不定期で何回か開催されました。これらのイベントは永さんの発案でしたが、今思えば当時の大門町を少しでも活気づけられるような催しになったのかなと思います。
聞き書き・中村英美
2023年3月18日号掲載