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19 カッコウ研究の国際化

テルアビブ大教授が来日 共同研究など交流盛んに

ザハビ教授(右)を案内した上高地で

 千曲川の調査地でカッコウは、オオヨシキリ、モズ、オナガの3種に托卵(たくらん)していました。調査では、これらの鳥の巣をすべて見つけて、托卵されたカッコウの卵の重さ、大きさ(長径・短径)を測定し、写真を撮ります。雌により卵の大きさや模様が異なるので、標識をしたどのカッコウの雌が托卵したかが分かるのです。この調査には、托卵を卒業研究のテーマにした研究室の学生に協力してもらい、5月から7月にかけて4、5人体制で調査しました。

 カッコウの托卵の割合は、オオヨシキリが20%ほど、モズが5%ほどでしたが、オナガの巣は半分以上でした。また、オナガでは一つの巣に2個以上托卵されていることが多く、最も多かったのは5個でした。

 カッコウがオナガに托卵するようになったのは最近のことです。1940年代までは、カッコウは高原の鳥、オナガは平地の鳥で分布域が重ならず、托卵は見られませんでした。その後、両者が分布域を広げて重なり、長野県では1974年に初めてオナガへのカッコウの托卵が確認されました。それ以後、カッコウのオナガへの托卵は、急速に広がり、1980年代終わりにはオナガの分布域全体に広がりました。

 オナガへの托卵が急速に広がったのは、オナガがカッコウの托卵に対抗手段を持っていなかったからです。しかし、1990年代初め、安曇野、長野、野辺山の3地域で、巣の前にカッコウの剥製を置いたところオナガは攻撃するようになっていました。また、カッコウ卵と自分の卵との識別能力があるかどうか調べたら、カッコウ卵の排斥を確認し、オナガは短期間でカッコウへの対抗手段を確立しつつあることが分かりました。

 こうした研究が進む中、1987年秋にイスラエルにあるテルアビブ大学のアモツ・ザハビ教授が奥さんと来日しました。彼は、イスラエルでマダラカンムリカッコウという私とは別の種類の托卵鳥を研究していました。私のカッコウの托卵研究を知り、京都大学の日高敏隆先生を通し、私に会いたいと連絡してきました。

 私は妻と2人で夫妻を上高地に案内しました。ホテルに泊まった夜、私はザハビ教授にこれまでの研究成果を話すと、彼は大変興味を持ち、共同研究をしたいと言いました。翌年、彼の研究室にいた院生のアーノン・ロテムさんが長野に来て、3年間共同研究をしました。共同研究の成果が出始めた2年目の89年3月、ザハビ教授は、私と妻を1カ月間イスラエルに招待してくれました。

 私と妻は小学生の娘2人を知人に預け、イスラエルを訪れました。私にとっては初の外国訪問。テルアビブ大学でカッコウの研究成果について講演し、捕獲方法など研究の仕方を指導しました。それ以外の時間は、ザハビ教授とロテムさんがエルサレムをはじめ、イスラエルを北から南まで案内してくれました。

 私はイスラエルについての知識があまりなかったのですが、聖書に詳しい妻からイスラエルは聖書の舞台の地であることや、昔から宗教間の紛争が絶えない地であることも知りました。

 イスラエル滞在中には、北米で托卵鳥のカウバードを研究している、カリフォルニア大学・サンタバーバラ校のスティーブン・ロスステイン教授とも知り合いました。彼は2年後、私を彼の研究室に招待してくれ、今度は家族4人で3カ月間サンタバーバラを訪れました。カッコウとは異なるカウバードの托卵の仕組みを知るとともに、私のカッコウの研究を論文にまとめる良い機会になりました。

 私のカッコウの研究は一気に国際化していきました。

 聞き書き・斉藤茂明


2024年5月18日号掲載

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