米国の次男に「力を貸して」 長男は経理・資金繰り担当
サンクゼールチャペルが完成した2005年、社名を斑尾高原農場からサンクゼールに変更しました。
「サンクゼール」の名は当初、1989年にオープンしたレストランに付けました。旧三水村の誘致が決まり準備をしていた頃、いろいろな人に夢を語っていました。ある勉強会で、皆さんに「レストランの名前を考えたいので意見をいただけませんか」と聞いたところ、「『久世さん』だから『サンクゼール』でどうだろう」と意見が上がりました。フランス語にしてもつづりはおかしくないと分かり、直感的に決めました。日本語で「聖人クゼール」というような意味。もし私が当時クリスチャンだったら、このように偉人みたいな名前はおこがましくて付けなかったかもしれません。
その後、「サンクゼール・ワイナリー」の店舗を増やし、サンクゼールの名が一つのブランドとして定着していきました。米国のナパバレーのワイナリーオーナーの佐藤康三さんが投資してくださったときに、「斑尾高原農場という社名とサンクゼールというブランド名の二つがあると分かりにくいので、将来的にはどちらかに絞った方がいい」とアドバイスされました。しかし、斑尾高原農場という名前にもすごく思い入れがあったので悩みました。
2005年に三水村と牟礼村が合併し飯綱町になりました。斑尾山は三水からは身近な山ですが、牟礼の人にとって一番身近なのは飯縄山。飯綱町がスタートするこのタイミングで、社名も思い切って変えようと考えました。それでも斑尾高原農場という名前は忘れてはいけないと思い、ブドウ栽培の会社の名前として残すことにしました。
一方、04年に次男の直樹が、05年に長男の良太がサンクゼールに入社しました。直樹は米国のカリフォルニア大学デービス校を卒業後、米国のワイナリーで働いていましたが、「改造した車でファストフードを提供する屋台を始めたい」と相談を受け、サンフランシスコの弁護士事務所に直樹と2人で相談に行くことにしました。私もゼロから事業を起こしましたし、アイデアは悪くないと思いました。しかし、01年のニューヨーク同時多発テロ後の米国政府の規制強化で、小資本で起業するのが難しいことが分かりました。
弁護士の話を聞いてどうしたものか一晩悩みましたが翌日、直樹に「日本に戻って会社を手伝ってほしい」と話しました。会社がかなり忙しかったので、力を貸してほしいと頼みました。今の奥さんのミンツーさんと大学で知り合い、将来結婚するつもりで既にお付き合いしていたので遠距離になることを悩んだと思いますが、入社の決心をしてくれました。
良太は電気通信大の大学院で電子工学を学び、セイコーエプソンでエンジニアとして働いていました。ある日、資金繰りをずっと一人でやってもらっていた経理の山口さんが、病気で手術をすることになり、「このままだと安心して手術を受けられないので、しっかりとした人材を探してほしい」と言われました。良太しかいないと思ってすぐに連絡を取って頼みました。半年ほどの引き継ぎ期間を経て、経理、資金繰りを担当してもらいました。円満退社したセイコーエプソンとは、今でも企業同士の交流をさせていただいています。
良太は初めての子だったので特に厳しくしつけたので、支配的な父親を手伝うことなど考えてもいなかったと思います。クリスチャンになり「自分の好みで子どもたちを変えようというのは間違っている。生まれ持った才能を開花させる手伝いをするのが父親の役割だ」と考え方が変わったことで、息子たちとの関係も徐々に変わっていきました。
聞き書き・松井明子
2021年7月10日号掲載