庭の百日草 毎日デッサン 自分の中の新たな扉開く
2016年、私にとって初となる美術館での個展を、おぶせミュージアム・中島千波館で企画していただきました。「郷土の作家シリーズ」という、長野県に由来がある作家を取り上げる企画展の一環で、当時の学芸員の宮下真美さんから依頼をいただきました。
美術館の大きな空間で大作をいくつも展示し、立派な写真集も作っていただきました。30年ほど前の作品も改めて展示し、自分が忘れかけていた若い頃の感覚を振り返ることができました。ギャラリーでの個展は、最新作を発表するのが基本ですから、普段、過去の作品を見る機会は自分でもなかなかありません。30代の終わりに描いた作品は未熟さを秘めつつ、若い頃にしか描けないエネルギーに満ちていました。最新作と同時に展示することで自分の変化に気付き、新たなテーマを発見する機会にもなりました。
16年ころは多くの展覧会を開く一方で、出産を機にわが家の近くに引っ越してきた娘一家のサポートで制作以外でも多忙になりました。娘が結婚し自立してからは自分の制作発表に集中していましたが、育児と仕事に忙しい娘が身近にいると、私も母に子育てを助けてもらったからこそ自分の仕事ができたので、今度は私が娘を助けてあげなければという気持ちで、孫の面倒を見ながらの制作発表という、公私共に忙しい時期でした。
長男の3歳下に長女も生まれ、その後、わが家での同居も始まりました。さらに仕事が忙しくなった娘に代わり、日々の家事に加え、保育園への送迎や小学校への迎え、夕ご飯やお風呂、時には2人が寝るまでを全て担いました。娘は聞き分けが良くおとなしい子でしたが、孫たちはそれとは正反対でとにかくやんちゃで言うことを聞かない子たちです。寝付くまでは大騒ぎで、子どもの生まれ持った性格は千差万別で子育ては一筋縄ではいかないのだと痛感しました。
孫たちの世話で毎日疲労困憊でしたが、初めてで無我夢中だった自分の子育ての時とは違い、赤ちゃんから育っていくかわいらしさを味わえたのは、毎日一緒に過ごし、面倒を見たからでしょう。娘一家は、上の孫が小学4年の時に上田市に引っ越し、肩の荷を下ろしましたが、東京からコロナ疎開で長野に来た義理の母との同居が始まりました。
コロナ禍は私の作家活動にも影響を及ぼしました。コロナ禍のために展覧会がいくつかキャンセルになり、常に展覧会に追われていた私はぽっかり空いた時間に開放感を感じ、発表を意識しない制作を始めました。以前から新しいイメージの起点にしたいと考え庭で育てていた百日草を、毎日絵日記のような感覚でデッサンしました。
数カ月が過ぎ、石川利江さんから「以前から話していた若麻績敏隆さんとの2人展をやりませんか」と声を掛けていただきました。若麻績さんは善光寺白蓮坊のご住職ですが、東京芸大の日本画科出身で、東京のデパートで定期的に個展を開催される画家でもあるのす。多忙な若麻績さんと、なかなか日程が決まらずにいたのですが、コロナが少し収まった今やりましょうとの提案でした。
会場は、石川さんの「ガレリア表参道」です。描いていた百日草のデッサンを一つの壁に一堂に並べて展示したところ、多くの来場者から「コロナで鬱々としていたけれど、すごく元気になりました」と声を掛けていただき、とても好評でした。
展覧会のために描くことが習慣のようになっていましたが、発表とは関係なく素朴な意識で描いたものが多くの人の心に届いたのは、とても新鮮な体験でした。自分が思っている以上に、作品には自分の気持ちが素直に反映されるのだと、コロナ禍のおかげで自分の中にあった新たな扉を開くことができました。
聞き書き・松井明子
2023年11月25日掲載