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ぼくが生きてる、ふたつの世界

=1時間45分

長野ロキシー(☎︎232・3016)で公開中

(C)五十嵐大/幻冬舎 (C)2024「ぼくが生きてる、ふたつの世界」製作委員会

「きこえる」「きこえない」 二つの世界 母子の絆

 聞こえない、または聞こえにくい親を持つ聴者の子どものことをコーダ(CODA)と呼ぶ。「ぼくが生きてる、ふたつの世界」は、自身がコーダでエッセイストの五十嵐大の自伝的エッセー「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」の映画化だ。


 宮城県の小さな港町。


 共に耳が聞こえない五十嵐陽介(今井彰人)、明子(忍足(おしだり)亜希子)夫婦の間に生まれた五十嵐大(吉沢亮)は、幼い頃から当たり前のように手話を使い、親の通訳をこなしていた。だが成長するにつれ、周囲の見る目の変化に違和感を覚え始める。大好きな母親が好奇の目で見られることを嫌い、逃げるように東京に出た大は、目的が定まらないまま流れる日々に埋没していった。


 「耳の聞こえない親の子だから」という理由で偏見を持たれる現実。ろう者である母親を守りたいという思いと、恥ずかしいという複雑な感情に揺れる、思春期と反抗期の感情を繊細にみずみずしく演じた吉沢亮。息子へ変わらぬ愛情を注ぎ続ける忍足亜希子の優しい笑顔の中に、母親の毅然とした強さと美しさがにじみ出る。


 呉美保監督のこだわりはナチュラルかつリアルであること。両親役の忍足と今井だけでなく、ろう者の登場人物は、すべてろう者の俳優が起用され、それぞれの手話に個性を持たせているが、手話にも方言があるというのも驚きだ。


 映像でも両者の側に立って描かれ、無音のシーンに、今彼らが置かれている状態を私たちも肌で感じられる。耳に感じ取る「聞く」と、注意して耳を傾ける「聴く」と、きく姿勢に応じて漢字を使い分けるが、自分はどうきいているのだろう。日本には大のような境遇の「コーダ」が2万数千人いるそうだ。耳が聞こえても、他者の痛みが聴こえない、つらさを理解できない人間がどれだけいることか。己の心の不自由さをこの映画は気付かせてくれる。


 きこえる世界ときこえない世界の間を行き来しながら強く結ばれてゆく、母と子の絆の物語に心が震える。

 日本映画ペンクラブ会員、ライター


2024年10月12日号掲載

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