=2時間7分
長野グランドシネマズ(☎︎050・6875・0139)で公開中
(C)「シンペイ」製作委員会2024
人間・中山晋平の魅力 その生涯名曲と共に
「シンペイ 歌こそすべて」は、明治、大正、昭和の時代を生き、65歳でこの世を去るまで2000曲以上を残した中野市出身の作曲家中山晋平の生涯を、名曲の数々と共につづった伝記映画だ。
音楽の道を志し18歳で上京した晋平(中村橋之助)は、早稲田大学教授の島村抱月の書生となり、働きながら音楽大学で学んでいた。 女優松井須磨子とのスキャンダルで抱月は大学を去り、劇団を旗揚げする。「芸術は大衆の支持が必要」という理念を持つ抱月は、劇中歌の作曲を晋平に依頼。須磨子が歌う「カチューシャの唄」や「ゴンドラの唄」が大ヒットし、晋平は作曲家としての一歩を踏み出す。さらに作詞家の野口雨情(三浦貴大)や西條八十(渡辺大)らとの出会いが、新たな音楽の世界を広げてゆくのだった。
「シャボン玉」「アメフリ」「出船の港」「東京行進曲」「東京音頭」など、童謡や歌謡曲、音頭、民謡など、今も歌い継がれる曲がどのように生み出されたのか。晋平の人生のエピソードに光をあてながら、名曲たちが流れ出す。メロディーと詩が合わさると、詩は命を吹き込まれ生き生きと輝き始める。「古きを訪ね新しきを知る」。晋平の音楽は懐かしさと新しさで人々を引きつけてゆく。当時、もう一つ詩人たちが大切にしていたのが「赤い鳥運動」。子どもたちの純粋性を育む児童音楽が求められていた時代でもあった。
幼くして父親を亡くし、貧しい暮らしの中でも子どもたちに教育を受けさせるため、働きづめの母への感謝の思い。「母ちゃんにも歌える唄を作ること」。 母親との約束が、晋平の支えであった。
音楽を愛し、故郷とと家族を愛した晋平。偉人としてだけでなく、人間・中山晋平のぶれない生き方が魅力的だ。
信州が誇る偉人の物語であるとともに、音楽が人間に与える喜びが画面からあふれだすような音楽映画にしたいと、映画化したのは、「遠き落日」「ハチ公物語」の神山征二郎監督。上田市をはじめ、長野、須坂、松本など県内各地でロケが行われた。来年1月の全国公開より前に長野県で先行上映されている。
(日本映画ペンクラブ会員、ライター)
2024年11月23日号掲載