川と川が直角に立体交差
4月20日のまち歩きのテーマは「善光寺・門前を掘る」。長野市役所文化財課職員の宿野隆史さん(47)が、過去の発掘調査結果から分かる善光寺周辺の歴史を語りながら案内してくれた。
初めに向かったのは竹風堂善光寺大門店。店舗の建設工事に伴い2005年に発掘調査され、中世に造られた東西方向の大きな溝の跡が見つかった。宿野さんによると、善光寺門前町はその頃に大きな区画造成が行われ、町家が形づくられたと考えられるという。
仁王門まで進む。周辺は「元善町遺跡」だ。善光寺の本堂は、江戸時代の1707年に現在の場所に再建される前は、今の仲見世の真ん中に立っていたことが知られている。その古い本堂や仁王門を含む範囲が元善町遺跡だ。
仁王門の東側で06年に行われた発掘調査では、平安末期から鎌倉初めごろの建物の礎石や盛り土が見つかった。盛り土の中からは、熱で焼かれた瓦、しっくいの壁の破片、塑像のかけらなどが出てきた。当時の火事で、それまであった建物のがれきが埋まったらしい。
仏像だった可能性もある塑像のかけらは7世紀後半、瓦やしっくい壁も古代の物と推定されるというから、古い善光寺の破片かもしれない。はるか1400年の昔、ここにどんな風景が広がっていたのだろうか。善光寺の創建にまつわるロマンをかきたてられる。
話は地形や川に移った。長野西高の方から流れてきた湯福(ゆぶく)川は、善光寺本堂が今の仲見世にあった頃、山門の辺りを流れていたという。本堂が移転再建された時、本堂の北と東に迂回(うかい)する現在の流路に付け替えられたそうだ。
一行は、仁王門から善光寺下へ坂を下り、淀ケ橋へ。ここには湯福川と、妻科、県町、東町を流れてきた鐘鋳(かない)川が直角に立体交差する場所がある。北へ流れる鐘鋳川の上を、東向きに湯福川が流れ、合流することなく擦れ違う。不思議な光景だ。
その後は鐘鋳川を上流へたどりながら東町へ。ちょっ蔵おいらい館の中に、宿野さんが市立博物館で保管されている出土品を持ってきてくれていた。参加者は遺物を間近に見ながら詳しい話を聞いた。
緩やかな南向き斜面が広がる善光寺から大門町の一帯には、縄文時代から人が住んでいたという。集落があったからそこに善光寺ができ、さらに人が集まるようになった。御開帳で全国から数百万人という人が訪れるこの地の、数千年前から現在までの変遷に思いをはせた。
竹内大介
2022年5月14日号掲載