母国に孤児院建設目指す 心揺さぶられ個人で献金
タンザニア出身の小林フィデアさんがわが社に入社したのは、もう20年以上前になります。一度は面接で不採用になったのですが、まゆみさんの友人からの紹介があり、私が直接お会いすることにしました。
当時、まだ日本語がたどたどしく、聞き取りもあまりできませんでしたが、目がキラキラしていて利発で、すごく明るい人でした。フィデアさんの採用を決め、言葉の問題もあったので工場で働いてもらうことにしました。
お客さまを案内するために工場に行くと、フィデアさんはいつも笑顔で気持ちの良いあいさつをしてくれました。言葉の上達は早く、1、2年ほど後に、コミュニケーション能力が高い彼女の力を発揮できるレストランで働いてもらうようにしました。
明るい性格のフィデアさんですが、ときどき落ち込んでいるような表情が見られました。話を聞いてみると、お母さんがタンザニアで何人もの孤児の面倒を見ており、結婚して米国に暮らすお姉さん、フィデアさん、タンザニアの妹さんたち4人で仕送りし支えているものの、お金が足りないと悩んでいました。お金を稼ぐために夜はラーメン店でもアルバイトしていると聞きました。
会社として、持続可能なかたちで活動を支えようと思い、次男直樹のアイデアで、フィデアさんのレシピで作った「フィデアジャム」を発売し、1個売れるごとに200円(現在は100円)献金する仕組みにしました。お金の収支の透明性を表すために、フィデアさんは夫の一成さんと共に2010年、タンザニアの孤児や身寄りのない子どもたちへの支援活動を行うNPO法人、ムワンガザ・ファンデーションを立ち上げました。
そのうちに、フィデアさんから、「日本にいるだけでは分からない。タンザニアを実際に見てほしい」と会うたびに言われるようになりました。
フィデアさんたちは、孤児院を建てたいと考えていました。タンザニアはどんな環境で、孤児院を建設するにはどれくらいの投資が必要なのかを調べようと、フィデアさんや支援者たちと2010年に訪問しました。
ダルエスサラームから15時間ほどバスに乗ってフィデアさんの故郷ソンゲアに到着すると、近所やボランティアの人たちが踊りで出迎えてくれました。2週間ほどの滞在中、フィデアさんの案内で、孤児院をつくった神父さんや建設に携わったボランティアのセルビア人青年から話を聞いたほか、青年海外協力隊員、現地の外務省職員、町の役所のトップなどから情報収集しました。
現地には100年以上前にドイツ人宣教師らがつくった女子修道院があり、聖書を印刷するための印刷工場、貧しい人々に仕事を提供するれんが工場、ソーセージ工場などがありました。孤児たちや支援者に実際に会って、「人ごとではない。助けたい」と心を揺さぶられました。居ても立ってもいられない思いで、孤児院建設に向けて私個人の貯金から600万円を献金しようと決めました。
タンザニアは失業者が多く貧しい国。学校は掘っ立て小屋のような建物で、水はバケツでくみ、お風呂はバケツの水を浴びるような不便な環境で、人間の原点を見た思いでした。日本で会社経営をしていると、会社はたくさんあって、経営者はとかく批判されがちで、喜びを感じることは多くありません。しかし、失業者が多い国の現実を見ると、会社を経営して、人を継続的に雇用できることは素晴らしい社会貢献なんだ、会社を経営していて良かったなと思えました。
聞き書き・松井明子
2021年7月17日号掲載