22 千曲市議に

ポスターは自分で彫った板画 作務衣姿の議会活動に批判

 2003年9月、更埴市と埴科郡戸倉町、更級郡上山田町が合併して千曲市が誕生しました。「平成の大合併」の長野県第1号です。合併により1市2町の首長は失職しますが、議員は「在任特例」で1年8カ月任期が延長されました。計54人の「マンモス議会」では、合併による経費削減という狙いにそぐわない―ということで、翌年3月、市民有志が市議会解散を求めて署名活動を始めました。

 有権者の3分の1を上回る2万人を超える署名が有効とされました。ところが、この署名簿の縦覧期間中、多くの市議が縦覧し、2000件を超える異議申し立てをしました。「子どもの名前で署名した」とか「偽名の署名がある」などが理由です。しかし、1万9000人以上の署名は有効となり、市議会解散の賛否を問う住民投票が7月に行われました。

 2003年9月、更埴市と埴科郡戸倉町、更級郡上山田町が合併して千曲市が誕生しました。「平成の大合併」の長野県第1号です。合併により1市2町の首長は失職しますが、議員は「在任特例」で1年8カ月任期が延長されました。計54人の「マンモス議会」では、合併による経費削減という狙いにそぐわない―ということで、翌年3月、市民有志が市議会解散を求めて署名活動を始めました。

 有権者の3分の1を上回る2万人を超える署名が有効とされました。ところが、この署名簿の縦覧期間中、多くの市議が縦覧し、2000件を超える異議申し立てをしました。「子どもの名前で署名した」とか「偽名の署名がある」などが理由です。しかし、1万9000人以上の署名は有効となり、市議会解散の賛否を問う住民投票が7月に行われました。

 しかし、これで話は収まりません。今度は、署名運動に違法行為があったとして、40人を超える市議が、運動の代表者ら13人を刑事告発しました。驚きましたね。市民の批判もさらに強まりました。結局、全議員が辞職し、出直しの市議選が行われることになりました。

 署名運動をしたグループとしても、その中から市議会に送り込みたいと考えるのは当然のことでしょう。当初は、グループの代表者が立候補する予定で、ポスターやはがきなどの準備を進めていました。しかしその人が体調不良で入院することになりました。告示1カ月前ぐらいでした。そこで僕が立候補することになりました。慌てて準備を始め、ポスターは自分で彫りました。ぎりぎり間に合いました。

 余談ですが、立候補者掲示板に張られた僕のポスター、作務衣の襟が〝左前〟になっています。「なんで左前なんだ」と人に聞かれると「わが家の財政も〝左前〟なんだよ」と言って切り抜けていました。

 僕は立候補者34人中の15番目の得票数で当選しました。落選するものと思っていました。

 市議会改革を訴えて初当選した5人で「新風の会」という会派を結成。毎回質問していこうと活動を始めました。

 まず驚いたのが、議員が学校の卒業式などに出席した際のあいさつの例文をまとめた本を買わないかと僕の家におじいさんが売りに来たこと。2万円ぐらいしましたかね。

 そして議会に出ると今度は僕の作務衣姿に批判が出ました。直接僕に言ってくるのではなく、議会事務局とか会派に突っついてくるんですよ。当時、他県の県議会ではプロレスラーのマスク姿で活動する議員が誕生していました。

 合併時に市議会解散を求めて市民の署名活動に対して当時の議員らが刑事告発をした件について、僕たちは議員在任中、告発を取り下げるように求める決議案を提出しました。しかし、文章が議会事務局職員によって無断で手直しされたという事態が明らかになりました。そんなことが行われる議会にはうんざりしました。

 約2年半、市議を務めた後、07年の県議選に立候補しました。前の年に田中康夫さんが知事選で落選しています。僕は別に田中知事の熱心な支持者ではありません。しかし、反田中の急先鋒の議員が千曲市選出とあって、このままではいけないという気持ちで立候補しました。結局7000票弱の得票で落選しました。

(聞き書き・吉村英樹)

2026年8月8日号掲載

目次