戦後 学園創立から79年 学校運営とブランド経営

岡学園トータルデザインアカデミーは、1946年の創立から今年で79年を数えます。これまでに数千人の学生がここを巣立ち、ファッションやデザイン業界をはじめさまざまな分野で活躍しています。
母の岡久子(1921〜2023年)が、勤め先の甲府で空襲に遭い、命からがら生き延びて、長野市の両親の元に戻り開いた「長野ドレスメーカー研究所」が学園の始まりです。この時、母は25歳。岡田町の岡学園からほど近い所にあった借家の玄関に「洋裁教えます」と張り紙を出しました。8畳一間の教室には小さな二つの机と中古のミシンが1台あるだけ。
それでも、中学を出たばかりの若い人から年配の人までびっくりするくらいたくさんの生徒さんが集まったそうです。新しいことを早く身に付けて、生活の糧にしたいと考える人が多く、中には、スカートの製図を覚えて帰り、さっそくスカートに仕立ててそれをお米に換えて、その日の家族の賄いにする人もいました。物資は不足していて、洋服のほとんどは手縫いでリフォーム。和服はもちろん、下着、カーテン、シーツにいたるまで材料にした時代だったといいます。
そんな小さな洋裁教室から始まった岡学園は、その後ファッションデザイン、ファッションビジネスなどファッションの専門学校として歩み、2006年にグラフィックやイラストを教える「デザインビジネス科」、17年には長野の地方創生をデザインの力で企画、プロデュースする「長野プロデュース科」を新設。ファッションに加えデザイン全般を学べる専門学校へと領域を広げてきました。
私は1983年、25歳の時にデザイナー科の教師になると同時に副校長を任されました。その後、96年に母から校長を引き継ぎ、今日に至っています。
岡学園の学校理念は「心身(からだ)に財産」。これは母が学生たちにずっと口癖としていたものです。「お金や土地だけが財産ではなく、しっかり技術を身に付ければそれを活(い)かし、人に伝えることで無限に広がるかけがえのない財産になる」—と。
その母も2023年1月に102歳で亡くなり、それからちょうど2年がたとうとしています。最近になって母が残した手書きの巻き物を改めて手にする機会がありました。それは、縦10センチほど、何枚もの紙が貼り合わされて長さは10メートルを超えます。改めて読み進めるとそこには、私の高校卒業を始まりに(当時母は56歳)、学園が70周年を迎えた2016年、母が95歳になるまで40年近くの出来事が年を追って詳細につづられていました。
振り返れば、母と二人三脚で歩んだ日々。一方、私は幼い頃からの夢に向かい30代からデザイナーとしての活動をフリーで始め、40代で自らのエコロジーファッションブランド「エコマコ」をゼロから立ち上げてビジネスを展開。海外でも評価を頂くなど個人としての活動を続けてきました。
学校の運営とブランド経営という二足の草鞋(わらじ)は、決して簡単なものではありませんでしたが、女性でも自立して自分の道を切り開いていくことの大切さを、自らの後ろ姿で見せてくれたのは母であり、私の活動を誰よりも喜んでくれていました。
私自身の頑張りを間近で見てきたからこそ、信頼して、さまざまな責任や思いも託してくれたことに、これからも応えていきたいと思っています。
(聞き書き・中村英美)
2025年1月18日号掲載
