25 昭和100年

やりたいことが次々と 「精神百倍」心がけ 頑張る

平成令和 なんちゃって横丁 昭和の日

昭和百年 何年たっても昭和の日

 この2句は、僕が佐久市の文芸誌「佐久文学 」に、「昭和100年」をテーマに投稿し、6月に掲載された10句のうちの2句です。俳句とも川柳ともとれますが、これは江戸時代にはやった「狂句」の類と言ってもいい。

 僕は昭和17年6月の生まれなので平成の人間とも、令和の人間とも思っていません。戦時中の生まれとはいえ、 戦争そのものの記憶はありません。

 戦争が終わり、おじの家族7人が満州(現中国東北部)から引き揚げてきて、生活は一時大変でしたが、村の人々は皆ほっとしているように感じました。日本国憲法が公布され、民主主義、男女同権、戦争放棄といった雰囲気の中で学校生活を送りました。大人に怒られても「封建的なことを言うな」と返すと、びくっとする大人がいました。

 農地解放も行われ、小作農だった僕の家は1反5畝(15アール)ほどの田を買い、そのおかげもあってか、僕は高校まで行かせてもらったと思っています。

 高度成長期を迎えた日本は、急速に経済が発展した一方で、安保闘争、ベトナム反戦運動、大学紛争など政治運動が盛んな時代でもありました。

 僕もまた、デモに参加したりデモを見物したりしていました。デモ中、学生側と機動隊との応酬があり、デモ隊に突入してきた機動隊とやり合い、僕も一度背中をけがしたこともあります。

 連合赤軍による「あさま山荘事件」(1972年)はショックでした。

 僕も、このような問題には関わりたくないなと思うようになり、母親の看病をしなければならなくなったこともあり75年に更埴市(現千曲市)にUターンしました。

 郷里に戻ってからは板画を彫り、詩や俳句を作る創作活動のほか、森将軍塚古墳の保存運動や「郷土の本・さらしなはにしな」の出版など、いろいろな活動をしてきました。この頃も「ノンセクト」。右でもない、左でもない姿勢を貫いてきました。

 いろいろやりたいことが次々出てきます。ある意味やり残しているのかもしれませんが、「これはやらなきゃいけないな」というのが日々出てきます。80歳になった時から「自己史」をまとめ始めたのですが、みんな途中でやりかけになっています。

 そして今、手元にあるのは大量のミニコミ誌。「ミニ」ミニコミ誌と言った方がいいぐらいの薄いパンフレットもあります。展覧会の時には必ず作りましたし、郷土史に関係するミニコミ紙もあります。これだけミニコミ誌があるのは、僕と仲間の特徴かもしれません。だから、この連載は「私の歩み」ではなく「私の歩み」だったと思います。

 信濃毎日新聞主筆を務めた故中馬清福さんが「考」に書いた「精神百倍」を心がけ、あと2年なのか、5年なのか、10年なのかは分かりませんが頑張らなければと思っています。

(聞き書き・吉村英樹)

 森貘郎さんのシリーズおわり

2026年9月5日号掲載

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