「大逆事件」についての講演 依頼したもののかなわず

信濃毎日新聞の主筆を務められた中馬清福さん(1935〜2014年)には、いろいろな場面で一緒になり、お付き合いがありました。中馬さんとの出会いは、南相木村の診療所長を務めていた色平哲郎さんから「中馬さんを囲む会」に誘われたのがきっかけです。
僕は、2001年5月、朝日新聞長野県版で始まった色平さん執筆の連載「風のひと 土のひと」の挿絵を担当しました。朝日新聞長野支局長の越村佳代子さんからの依頼でした。板画館を訪ねて来てくれた越村さんに「僕はデザイナーじゃないから、もっと良い人がほかにいるのではないか」というようなことを言って1回は断ったと思うのですが、後日、越村さんから手紙をいただきました。「内容とは関係なく、自分が彫りたいように彫ってください」と。いい手紙でした。すごいなと思って、引き受けることにしました。あの手紙は僕の宝物です。
「風のひと…」は半年ほどの予定が、好評だったのか結局1年半、約70回の連載となりました。毎週1枚ずつ作品を彫り続けるのは結構大変でした。
連載終了後、連載を本にする予定はないのですかと越村さんに聞いたら、「ない」というので、連載に載った板画の中から気に入った作品を集めた「板画帖 風土木」を出版しました。タイトルの「風」と「土」、そして板画の版木の「木」から名付けました。
僕は色平さんの講演を聴きに行き、色平さんも僕の作品展に顔を出してくれるようになりました。色平さんの話を聞いていると、視野の広さと医療の本質をつかんでいることがすごいなと思います。医療というものは、病気を治すだけではない。患者に寄り添い、ケアをすることだと。それを実践しているのですから。すごい人に出会ったと思います。18歳も年下なのに。
05年、朝日新聞出身の中馬さんが信毎の主筆に就任され、僕は中馬さんと出会います。前年の04年は、3市町村合併で発足したばかりの千曲市の市議会解散を求める市民運動があったり、僕が�間違って�市議に当選したり、地域批評誌「たあくらたあ」創刊の編集委員になったり—と慌ただしい日々を送っていました。
そんなところを中馬さんも面白がってくれたのでしょうか。中馬さんは僕の作品展などがあれば都合がつく限りは顔を出してくれました。東京で展覧会を開いた時も、案内状を出したのか覚えていませんが来てくれました。板画も買ってくれましたよ。逆に僕も、その当時県内各地にできた、中馬さんを囲む「『考』の会」に顔を出すようになりました。
明治天皇暗殺を企てたとして社会主義者の幸徳秋水や屋代町(現千曲市)出身の新村忠雄ら12人が処刑された「大逆事件」について考える「千曲市民100年の会」を12年に立ち上げた際にも、中馬さんは顔を出してくれました。中馬さんには大逆事件について講演してほしいと頼んでいたのですが、14年11月、中馬さんは亡くなられました。
同年5月に届いた手紙には「3月末で(主筆を)退任し、主たる住居を東京に移します」「5月であれ8月であれすでに身分は浪人。それでよろしいですか」「延期していただくと楽ですが『鉄は熱いうちに打て』。5月でも参上いたします」とありました。それが最後の手紙となりました。
(聞き書き・吉村英樹)
2026年8月22日号掲載
