長年高校教育に全力注ぎ 父創設の「愛育園」引き継ぐ

私は現在、篠ノ井横田にある円福寺の住職および児童養護施設「円福寺愛育園」の理事長と園長を務めています。児童養護施設とは、保護者の病気や虐待などの理由により、家庭で養育できない子どもたちが暮らす施設です。現在、愛育園には未就学児1人を含む小学生から高校生まで26人が暮らしています。
愛育園は1947(昭和22)年、父の幸邦が上野駅にいた戦災孤児2人を引き取り、住職だった円福寺の庫裡で育てたことが始まりで、翌48年の5月5日の子どもの日に「円福寺愛育園」として創立されました。私も48年生まれで、愛育園と同じ、今年78歳になりました。私は2008(平成20)年、60歳の時に愛育園の理事長を父から引き継ぎました。
子どもの頃の私は、小学校から帰ると、園の子どもたちと、寺の横を流れる千曲川で泳いだり、メンコや鬼ごっこ、チャンバラごっこなどをして遊んでいました。中学校に進んでからも、園の子どもたちと遊ぶことが多かったです。長野高校に入学するとすぐ、病気で長期入院しましたが、退院後には生物班で活動するなど、楽しい高校生活を送りました。東北大学ではクラブ活動などで活発に活動し、同大学院に進むと、教員になる決心をしました。1972(昭和47)年に県の教員になり、上伊那郡の高遠高校(当時)を始まりに、大町高校や長野高校などで高校理科(物理)を教え、父の母校の屋代高校で教頭を務め、長野南高校や松本深志高校、上田高校では校長として生徒たちと向き合ってきました。いずれは実家の寺を継がなければならないという気持ちがあったので、76(同51)年に一度教員を辞め、永平寺(福井県)で約1年間修行に励み、後の人生につながる大きな経験を得ました。
翌年、教員に戻ってからは、永平寺で学んだ「掃除と規則正しい生活習慣の大切さ」を自ら実践するようにしました。特に校長になってからは、学校のトイレ掃除やごみ拾いなど、自分から率先して行うようにすると、生活の乱れが目立っていた生徒たちが掃除をするようになってくれました。校長時代には、教員や生徒による不祥事や問題行動への対応に追われたこともありましたが、当たり前のことを当たり前に行う「凡事徹底」を貫き、私自身も鍛えられました。上田高校長の2006年から2年間、県高校長会長を務め、今までの経験が花開いたと感じています。
一方で07年ごろから、愛育園は他施設との交換人事で入った幹部職員とほかの職員の養育方針の不一致などから混乱が起きていました。子どもたちの生活も荒れました。理事長になったばかりで実情をよく知らなかった私は、佐久長聖中学高校の校長を退職し、一部の職員らと事態の収拾に取り組み、落ち着きを取り戻しました。
父とは親子ながら師と弟子でもあり、距離を取ってきました。愛育園も母のサトエの献身的な支えのおかげで続けてこられたと思っています。私は、愛育園の仕事も受けるつもりはありませんでしたが、現在、愛育園のほか、カンボジア支援など、父が取り組んだものをすべて引き継ぎ、父は喜んでくれているかもしれません。私は、教育も養育も「子どもたちの可能性を拓く」ことと考えています。今回、私の人生の歩みを通して、学校教育や愛育園について知っていただく機会になれば幸いです。
(聞き書き・斉藤茂明)
2026年9月12日号掲載
藤本光世さんの歩み
1948 昭和23 幸邦、サトエの長男として生まれる。円福寺愛育園創立
1954 29 通明小学校入学
1960 35 通明小学校卒業。通明中学校(現篠ノ井東中学校)入学
1963 38 通明中学校卒業。長野高校入学
1966 41 長野高校卒業。東北大学工学部入学
1970 45 東北大学工学部卒業。東北大学大学院理学研究科入学
1972 47 東北大学大学院理学研究科修士修了。高遠高校に着任
1976 51 永平寺安居(修行)
1977 52 永平寺での修行を終え、大町高校に着任
1979 54 田中悠起子さんと結婚
1981 56 櫻ケ岡中学校に着任。長男・一宇誕生
1983 58 長野高校に着任
1984 59 次男・大心誕生
1989 平成元 北部高校に着任。長女・道子誕生
1993 5 屋代高校教頭に就任。晋山式を行い、円福寺住職に就任
1997 9 長野南高校教頭に着任。翌年、校長職務代理者教頭を経て校長に昇格
2001 13 松本深志高校長に就任
2006 18 上田高校長に就任。県高校長会長に就任
2008 20 上田高校を定年退職、幸邦から円福寺愛育園理事長を引き継ぐ。佐久長聖中学高校校長就任・退職、愛育園園長に就任
2018 30 瑞宝小綬章
