私の歩み– category –
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私の歩み
12 一茶暦
季節に合った句と板画で 44年続け制作の大きな柱 今年の一茶暦5、6月(左)と、一茶暦を包んだ(畳)(たとう)紙 俳人小林一茶の句と板画の挿絵で構成した「一茶暦」は1982年版から作り続けて44年たちます。染色工芸家で人間国宝の故・芹沢銈介さんは亡く... -
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11 宮入聖さん
刀匠を父に持つ俳人詩人 「文学青年崩れ」を後押し 俳人の故永田耕衣さんの句を彫った板画「物質佛」(1998年) 「宮入聖」という名前を聞いて分かる人は、かなりの俳句愛好家だと思います。埴科郡坂城町出身の刀匠で人間国宝の故宮入行平さんの長男で... -
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10 更埴郷土を知る会
荒れた森将軍塚古墳見て 保存に向け整備計画提案 森将軍塚古墳などの整備で汗を流し、昼食の弁当を食べる「更埴郷土を知る会」のメンバー=1983年 千曲市の小高い山の上にある森将軍塚古墳は「科野のクニ」を治めていた豪族の墓とされ、4世紀後半の築造... -
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09 雨宮の御神事
3年に1度の「信濃の奇祭」 詩画集発行 踊りを板画に 雨宮の御神事について作った「土霊」(左)と「雨の宮のごじんじ」 4月29日、千曲市雨宮の雨宮(あめのみや)坐(にいます)日吉神社で「雨宮の御神事(ごじんじ)」(国重要無形民俗文化財)が開かれまし... -
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08 郷土誌を創刊
地域の歴史もっと関心を 表紙や挿絵など版画彫る 1976年に創刊した「郷土の本・さらしなはにしな」 東京と鎌倉には通算12年いました。1975(昭和50)年1月、母親が雪道で滑って転んで頭を打ったと知らせが入り、急きょ更埴市(現千曲市)に戻ってきまし... -
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07 鎌倉暮らし
ムンクの版画に衝撃受け 油絵にも負けない表現力 初めて作った句集「赫土抄」 代々木の新聞販売店で一緒にバイトをしていた友達が大学卒業後に入った出版社を辞めて業界新聞社に転職し、僕もその会社に誘われました。社長面接にジャンパーとジーンズ姿... -
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06 新聞販売店勤務
大学進学目指して上京も 予備校は1カ月でやめる 上京して、新聞販売店などでのアルバイトをしていた20代半ばごろ 屋代東高校(現屋代高校)を1年余計に通い、自称「文学青年崩れ」の僕は早稲田大学の文学部を受験しました。 歴史か国語で大隈重信に... -
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05 落第を経験
校長先生から通告される 図書館長の配慮で助かる 屋代東高校の図書館の前で 屋代東高校(現屋代高校)で僕は図書委員になりました。図書館は新築したばかりで校舎と別棟にあり、鉄筋コンクリート造りの洋風でしゃれた外観でした。図書館を校舎と別棟に... -
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04 杏の里板画館
築200年「千本松の家」「つくる会」で購入資金募る 千本松(手前)と杏の里版画館(奥の建物) 本来であれば、高校時代の話をするところですが、僕が主宰する千曲市森の「杏の里板画館」が冬季休館を終えて営業を始める4月1日が近づいているので、今回は... -
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03 屋代中学時代
理科の設問で先生に文句 かわいがってくれた先生も 中学の修学旅行で。前から2列目の左端が私 僕の通った屋代中学校は、旧屋代町や旧森村などでつくる組合立の中学校でした。できたばかりの学校で1年生から通ったのは僕の学年から。一学年250人ぐらいい...
