入学直後2カ月の入院 生物班で山登りに熱中

中学の成績は良かったものの、長野高校に入った時の成績は480人中200番台でした。得意だった数学は私よりできる人が何人もいるし、英語のレベルはとても高く驚きました。英語では難解な英文が教材に出てたくさんの例文を暗記しなければならず苦労しました。必死で勉強をし、予習だけで毎日1時間かけました。ところが、勉強を頑張り始めた6月、敗血症になり長期入院することになってしまいました。
腹が痛いと病院に行くと、盲腸との診断で手術を受けました。しかし、これが誤診だった上、手術の時の消毒が十分ではなく細菌に感染してしまったようでした。約40度の高熱が出て体がぶるぶる震えました。原因を特定できずにこんな状態が約半月続き、心配した父の判断で別の医者に診てもらい、敗血症だと分かりました。その後、適切な処置を受けて、回復に向かいましたが、結局入院生活は2カ月に及び、1学期を棒に振りました。手術を受けたことは覚えていますが、入院時の記憶はありません。入院中、母は心配して、愛育園の仕事をしながら、県庁近くの旭山にある、険しい参道の朝日山観世音堂に願掛けのため、何時間もかけて何度も通ってくれました。このことを知ったのはつい数年前のことです。改めて、母の深い愛情を感じずにはいられませんでした。
私が復学したのは夏休みが終わってからでした。ある日、窓からぼんやり花壇を眺めている私を気にかけてくれた生物班の人が班に誘ってくれました。生物班は、微生物、植物、昆虫、カエルの四つの研究分野に分かれていて、私はニッポンヒキガエル(ガマガエル)を選びました。2年生の4月に雲上殿近くの花岡平にある小さな池で、雄同士が雌を奪いあう「カエル合戦」を研究しました。カエルを識別する目印を一匹ずつに付けて、その生態を観察しました。夜中の観察だったので、昼の授業は居眠りばかりしていました。
班活動では、合宿やコンパなどで班員が集まると高校に伝わる「歌」を大声で歌いました。同年代の仲間たちと過ごす時間は楽しいものでした。中学では、目立たないようにと自分を押し殺していた部分がありましたが、「自分を出していいんだ」と思えるようになり、自分に自信が生まれてきました。勉強でも2年生になると、理科では物理と化学、数学では微分・積分の授業が本格化し、その面白さにはまり、復学直後は300番台まで下がった成績が30番、得意の物理は10番台まで上がりました。
生物班は研究の一方で、キャンプや山登りも活発でした。2年生の夏に戸隠山を縦走した時は断崖絶壁の難所「蟻の塔渡り」を歩き「八方睨(はっぽうにらみ)」でテントを張って一夜を過ごしました。朝には我慢できずそこで用を足すなど、神聖な山を汚すようなこともしましたが、班の仲間と一緒に、若いエネルギーを発散していました。3年生の時の新入生歓迎コンパでは御来光を仰ぎに飯縄山に登りました。
3年生になって研究が終わると、私はキャンプや山登りに夢中になっていました。3年生の夏合宿は妙高山の南西にある笹ケ峰高原へ。生徒だけで火打山から焼山を縦走しようと計画しました。笹ケ峰で1泊後、焼山の避難小屋で1泊して、お花畑が美しい天狗原山と金山を越えて下り道に差し掛かると地図にあった道が見当たりません。そこで、沢に降りるか、大回りになるが乙見山(おとみやま)峠に出るか・。みんなで相談して、乙見山峠への道を選んだ結果、真夜中の1時ごろ、無事に笹ケ峰に戻ることができました。心配して迎えに来た先生や仲間のヘッドランプの明かりを見た時はほっとしたとともに、迷惑をかけてしまい申し訳ない気持ちになりました。
(聞き書き・斉藤茂明)
2026年10月3日号掲載
