研究者でなく教員目指す 「極地研」で物理を考え直す

大学3年の時、学科選択があり、私は工学部応用物理学科(応物)に進みました。数学や物理などの自然の原理を追究する学問が好きだったこと、さらに2年生の時の学科説明会で応物の学科長が「工学部で何をやったらいいか決まっていない学生はうちに来なさい」と言うのを聞いて決めました。応物では理論研に所属しました。4年生になると、高校の教員になりたいと思うようになる一方で、物理の研究者への憧れもあり、理学部系の東北大大学院理学研究科物理専攻を受験することにしました。
理学部で「過去問」をもらい解いてみましたが、私には歯が立ちませんでした。工学部と理学部では学んできた内容にかなり違いがありました。4年次の6月の教育実習が終わると、大学院の試験がある9月までは朝から晩まで研究室にこもって必死に受験勉強をしました。試験に不安はありましたが、量子力学と電磁気の問題で、私が勉強した範囲から出題されたのが幸運でした。面接では「将来は研究者になります」と答えましたが、試験に合格し、院生になる頃には教員になる決心をしていました。
院生になると研究はそこそこに、教員になるために知見を広めようと教育学部や法学部、経済学部の講義を聴講しました。特に、教育学部の細谷純教授の「教育心理学特講」はとても勉強になり、私が「極地方式研究会(極地研)」と出合うきっかけにもなりました。
「教育心理学特講」の講義の後、細谷先生に「教育心理に関する本を紹介してください」とお願いすると数冊紹介してくれました。次の講義で教授に「グループで理科のテキストを作っている。一緒にやらないか?」と誘われ、極地研に参加しました。極地研は、宮城教育大学の高橋金三郎教授と東北大学の細谷純教授を中心とした理科教育の研究会。名称は、北極点のような極地を目指す際、デポ(キャンプ)を順次設置して目的地に向かうことに由来し、高いレベルの科学を順次やさしく教える教授方法でした。綱領の一つに、「『すべての子どもに高いレベルの科学をやさしく教える』という目的を達成するには、個人の授業の努力の累加だけでなく、集団の中の相互批判により教師自身が高いレベルに到達せねばならぬ」とあり、私には新鮮でした。
極地研では中学・高校の理科教員、大学教授らが集まり、グループに分かれて理科のテキスト作りをしていました。私の担当は「運動と力」。私はこのテキスト作りを通して、物理の本質を理解していなかったと悟りました。自分でもあきれてしまいましたが、極地研でのテキスト作りで物理を基礎から考え直すことができました。
極地研では「授業の成否はテキストではなく、授業者にある」とし、私はこの言葉が好きでした。教員はテキストを自分なりに工夫し、変更して授業を組み立てていいのです。物理は、力やエネルギー、速さといった目に見えない概念を探究します。そのため、大町高校、櫻ケ岡中学校、長野高校と経験を積みながら手作りの生徒実験を創造し、実験では、生徒に結果を予想させてレポートにまとめ、生徒が自ら法則を発見するようにしました。
実は、教員免許を取るために大学の先生や友人に迷惑をかけました。教員志望者は「日本国憲法」と「教育原理」「教育心理」の単位を取らなくてはいけませんでした。日本国憲法の単位は1年次に取りましたが、「教育原理」と「教育心理」は講義内容がよく分からず、あまり出席もしていませんでした。教育原理は1年、2年、3年と落とし、4年生の時に先生に泣きつきました。教育心理は、2年生の時に真面目に講義に出席していた友人に借りたノートで勉強し、合格できました。友人は不合格でしたが、国家公務員試験に合格し、国土省(現国土交通省)に入りました。
(聞き書き・斉藤茂明)
2026年10月24日日号掲載
